ぶらさんぽ〜柿川めぐり
江戸時代に舟運の要だった柿川を歩く・・9/20(土)
秋晴れに恵まれ、薄い上着も途中で脱ぐ陽気でした。
集合場所は、平潟神社。今回のテーマは、江戸時代、船運の要だった柿川を歩く。ということで、平潟神社にまつわる話はあえて無かったのですが、案内役の長岡ボランティアガイドの堀口会長さんから「この平潟神社は、昔、お祭りの時、県内でも一、二を争うくらいの数の露天商が出店し、神社内の敷地には、見世物小屋(ろくろ首や・・・)まで出てにぎわった」そんな話をききながら、スタートです。
かつて河渡(河戸:船着き場)があったことから、今もお米屋さんが多く残っており、蔵がたくさんあったそうです。
匠橋は、今は、長岡駅から大手大橋へと続く幹線道で4車線の大きな橋になっていますが(車で通るとほとんど柿川を渡っているとは気づかない)、大工町と上田町をつなぎ、職人さんが往来したことからつけられた名前だとか。
ちょうど石塚材木店さんの前は、今は道路となって変形の四差路(中央に植樹帯)になっていますが、昔の日赤病院(今、ウオロク)の裏道を抜けて信濃川まで水路が抜けていたそうです。
この分岐にあるのが渡里橋。
もっとも大きな河渡で、長岡城下への入り口です。
旅籠が立ち並び、割烹や料亭が軒を連ねた場所です。
6代目割烹魚仁さんは、今も健在。
その横には、かつて「マスヤサブロベイ」があったそうです。
さらに下流へと!常盤橋。
途中、野鴨が数羽、川面で日向ぼっこしている中、平和記念公園に入ります。
そして、御幸橋。
ここは、明治天皇がお渡りになったということでこの名前がついたそうです。
ここで、柿川を離れて、明治記念公園に向かい、互尊文庫から昼食会場の「米八寿司」です。
ちょうど2時間、心地よい「ぶらさんぽ」でした。
柿川をながめつつ、往時に思いをはせる!かつての地名がどんどんなくなり、その歴史や土地の記憶が消え去る中、こうした散策は続けていきたいと改めて感じたところです。 (サカタ)
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