10年が過ぎたんですね・・・
あの、恐怖で震えた中越大震災から10年が過ぎました。
この大惨事を経験し、10年目を迎えるに辺り、皆さんそれぞれ色々な想いがあると思います。
私たち、まちなか考房はちょうど任意団体として立ち上がって2年目の時期でした。
活動もまだまだ未完成だった頃です。
この震災をきっかけに、動きががらっと一変したのです。
数々の有名人が中越を応援したいと駆けつけて下さいました。当時はその受け皿が行政でも、他でもなく、結果私たちが調整をし、場を作り震災復興イベントに取りかかりました。
そう、2ヶ月後の平成16年12月23日。それから毎年、10月23日には復興イベント「復興の集い」として、厚生会館前(アオーレ長岡の場所)、長岡駅前、フェニックス大手ビル、そして2年前と昨年、アオーレ長岡で9年の10回を開催してきました。
10年を迎えた今年は、その手もはなれ、行政が主体となって復興イベントが開催。
私たちはこの復興イベントにより、イベントのノウハウと沢山のネットワーク、ご縁によりここまでやって来る事が出来ました。
今年は改めて謹んで追悼の意をあらわすとともに、ここまで復興してきた中越魂を誇りに感じ、沢山の方々に支えられてきた、このご縁はとても大切な宝物です。
感謝いたします。
この大惨事を経験し、10年目を迎えるに辺り、皆さんそれぞれ色々な想いがあると思います。
私たち、まちなか考房はちょうど任意団体として立ち上がって2年目の時期でした。
活動もまだまだ未完成だった頃です。
この震災をきっかけに、動きががらっと一変したのです。
数々の有名人が中越を応援したいと駆けつけて下さいました。当時はその受け皿が行政でも、他でもなく、結果私たちが調整をし、場を作り震災復興イベントに取りかかりました。
そう、2ヶ月後の平成16年12月23日。それから毎年、10月23日には復興イベント「復興の集い」として、厚生会館前(アオーレ長岡の場所)、長岡駅前、フェニックス大手ビル、そして2年前と昨年、アオーレ長岡で9年の10回を開催してきました。
10年を迎えた今年は、その手もはなれ、行政が主体となって復興イベントが開催。
私たちはこの復興イベントにより、イベントのノウハウと沢山のネットワーク、ご縁によりここまでやって来る事が出来ました。
今年は改めて謹んで追悼の意をあらわすとともに、ここまで復興してきた中越魂を誇りに感じ、沢山の方々に支えられてきた、このご縁はとても大切な宝物です。
感謝いたします。
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